渾彩秀と云う表現者の傍に居て、語らない裏方の美学を学んだ気がする。
表舞台に立つ事を拒み続け、作品に注釈を付ける事すら許さない。
作品の「書」が全てを語り、見た者の魂を揺さぶる。

渾彩秀のひととなり

渾彩秀のカリグラフィー

18才の頃少年はヨーロッパに旅立つ。そして西洋の書道・カリグラフィーと出会う。元々実践的書道の天才といわれた渾彩秀はカリグラフィーの手法を取り入れる事で、よりオリジナル性の高い渾独自の書法を編み出して行った。もちろん渾に師匠は存在しない。まして協会に籍を置いている筈もない。洋と和の融合は渾にしか表現できない書なのだ。
今から10年程前、確か蝉が鳴く季節だったと記憶している。
私は初めて渾の庵を訪ねた。
和装の女性に導かれ 居間に通された瞬間、私は渾の書の世界を心地良く漂っていた。「女」の書はヒップラインが美しい女性が佇み、「鳥」は鶴が水面で休んでいる。「音」はトーン記号と指揮者がタクトを振っているではないか。
唯一無二の書を創り上げる渾彩秀の表現力に圧倒されていた。そして彼が書いた名刺の一部を見せて頂き驚いた。そこにある名は各界でトップに昇りつめた人物達の名だ。渾の書は芸術的に評価が高い、更に個人を表現した文字には不思議と「福」が舞い込むと聞いた事があった。名刺を見て何故か納得している自分に気付く。それ程その名刺は政財界、スポーツ界で高山の頂上に登りつめた人物達だったのだ。

何故、人は渾の書に魅せられるのか?

出会った渾彩秀は小柄で笑顔の絶えない、包容力のある人物に見えた。ただ顔写真を撮る事だけは許してもらえなかった。その断り方も、書だけが世に出る事を望んでいるように思え、天才をひらけかさない温和な人柄が滲み出ていた。
何故人は渾の書に魅せられるのか?
何故人は渾作の名刺を熱望するのか?
多くを語らない渾の言葉を紡いで私はこう理解した。
渾が書と対峙する時、ただ文字を表現するだけでなく、その中にメッセージを隠しいれている。それが人の心の深層に響くのではないかと私は理解した。
渾彩秀の書き上げる文字は人の心に良質の暗示をかけるのではないかと感じている。見て心地よく、持って福となる。渾の創り上げた新しい「書」の世界。

古代ヘブリッシュ・カリグラフィーの伝承

ある時渾からこんな言葉が出た。
「私は日本語の起源がヘブライ語にあると常に感じていて、もしかすると日本人は遠くイスラエルからやって来た民族が祖なのではないかと考える事がある。だからヨーロッパを旅した時にカリグラフィーに魅せられたと思うし、私の書の原点は古代ヘブ
リッシュ・カリグラフィーなのだよ。ここに皆さんが言う心地よさと福の秘密があると思わないかい?」

言葉は時に「呪文」や「言霊」になるのと同じように、文字は絵馬や御札といった神秘的な力を持つ側面を待ち合わせている。渾彩秀の書は神秘の記号として最も洗練されたヘブリッシュ・カリグラフィーに由来している。ヘブリッシュは聖書(神の書)
の文字である。更にヘブリッシュはカバラとは切っても切れない関係にある。つまりヘブリッシュは人の心を魅了する源なのだ。渾はそのヘブリッシュ・カリグラフィーを徹底して学び帰国している。渾が創り上げる文字とヘブリッシュ・カリグラフィーの融合は、古来から受け継がれた日本人のDNAを刺激し、人の真相心理に呼びかける、書の芸術性を更に一歩昇華させた唯一無二の筆文字なのではないだろうか。
今、渾に跡を継ぐ弟子はいない。技術のその先にある発想を教える術がないからだ。
渾の書は渾にしか表現出来ず、渾が筆を降ろした時、作品の幕も降りる。
彼は後幾つの作品を書き上げるのだろう。
私はその一つ一つを目に焼き付けようと決めている。